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初代櫻鴬亭小紫蝶

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甲山落語研究会OB訪問 第一回 初代櫻鴬亭小紫蝶

なぜ夙川学院短期大学かというと、初代櫻鴬亭小紫蝶さんのお住まいが夙川学院短期大学の
すぐそばだからです。
閑静な住宅街。甲山も一望できます。

初代梅蝶さん、遊鶴さん、小紫蝶さんは中学から関学の同級生で、
小紫蝶さんは高校時代に遊鶴さんに初代桂春団治のレコードなどを借りて聞いていたそうです。
大学時代を通して、麻雀、パチンコ、競馬をたしなんでおられたそうですが、
3回生の時に遊鶴さんと共に〆八さん、梅蝶さんたちに合流して甲山落語研究会に。

好きな落語家は誰ですか?
「枝雀になる前の小米」と「桂吉朝」。
「枝雀になる前の小米」というのは小紫蝶さん世代の方からよく聞くフレーズです。
私が物心ついた時には、すでに圧倒的に「枝雀は枝雀」でしたので、「枝雀になる前の小米」を
知らずに育った世代です。
一方、吉朝さんは私が現役時代、落研界のスーパースターでした。

「「小紫蝶(こしちょう)」という芸名は、そうそう思いつかないカッコイイ名前ですが
誰がつけたんですか?」
「多分、〆八さんがつけたと思う。」となぜか同級の〆八さんを終始「さん」付けで呼んではりました。

落研時代を通して唯一舞台を踏んだのは学園祭で、やはり初代春団治で覚えた「無いもん買い」
をされたとの事。
当時はビデオもなく落語の仕草もよく分からずにやっていたそうですが、
その舞台はとにかくよく受けた事はよく覚えているそうです。
私も、初舞台の「つる」を老人ホームでやった時に全然受けなかった事はよく覚えています。
同じ舞台でされた”みの虫さん”の「悋気の独楽」が受けていたのもよく覚えていますが。

小紫蝶さんは、卒業以来落研には顔を出してないそうですが、
今でも寝る時には、米朝や枝雀のCDを聞いているそうです。
「米朝とか枝雀聞いてたらな、すぐに寝れんねん。」
なるほど、ミヤコ蝶々さんがこんな事を言うてはったとか。
「うまい落語はよう寝れる。へたな落語は寝かしよらん。」

大学入学の年、1970年は関学も校舎は学生に占拠され、入試も高校の校舎でされたとか。
就職の年、1974年はオイルショックの翌年で、高度経済成長の尻尾の先端ギリギリのところで
就職できた、と回想されます。

小紫蝶さんは、百貨店に就職され、一昨年の定年後は完全リタイアされてます。
で、今は一体何をされているのかというと、趣味の投網漁にいそしんではるのです。
「投網漁、、、?釣りが趣味の人は何ぼでもおりますけど、投網漁て、、、何ですか?」
胸まである長靴をはいて川に入っていって、川底に落ちてる鉄骨の折れたやっちゃら釘の曲がったやつやらを金網でさらう、のではなく、網を投げて魚を捕るのです。
会社の先輩に教えてもらって30歳ぐらいから初めて、以前は琵琶湖などで網を投げ、
捕った魚をその場で焼いたりして食べていたそうです。
「そんなん、勝手に捕っていいんですか?」
漁業権が決められている区域では禁止されてますが、そうでないところではOKです。
今は武庫川の中流域が小紫蝶さんの主たる漁場ですが、5月~11月頃が漁繁期で、
今は冷たくて水には入れません。
「捕った魚はやはり食べるんですか?」
小紫蝶さんは、もともと生物を観察するのがお好きで、漁をするうちに魚たちが愛おしくなり
今では食べる事はなく、「飼っている」のだそうです。

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ご自宅の広い庭には大きな池があり、その横には現在ご自身で建設中の池もあります。

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捕った魚を自宅の池に放ち、その魚を狙ってカワセミが飛来する事もあるとか。
その姿をリビングの窓から眺めるのが至福の時、とおっしゃいます。

以下は小紫蝶さんからいただいたメールです。 

今日はお疲れさまでした。
いい忘れたのですが、あの場所を「イーハトーブ甑岩」と名付けています。
宮沢賢治風に淡水魚、野鳥、とんぼの楽園を造りたいと思っています。
少し大袈裟ですが、私のこれからの目標です。
甑岩:「こしきいわ」と読みます。
初夏にお会いできれば幸いです。

リタイアされてもファンタジックな夢をもっておられる小紫蝶さんの川漁師姿と
建設中の池の進捗状況をを拝見しに初夏にまたお伺いできればと思います。

「OB訪問させて下さい。」と突然電話したにもかかわらず、こころよくお引き受けいただいた
小紫蝶さん、有難うございました。 



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OB訪問 7代 五月家 すずか の巻

私が懇意にしている社会人落語の会「天狗の会」の遠征落語会が三重県伊賀市柘植(つげ)であるので聴きにいこうと柘植を地図で捜していると、柘植からちょっと足を伸ばせば津に行けることが分かり、この機会に津にお住まいのすずかさんにお会いできればと連絡をしたところ
「ええよぉ~。」とのご返事をいただきました。

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「三重大学教育学部付属中学校」 すずかさんは、このいかにも"かしこ”が行きそうな中学校から
津高校に進まれた、生粋の津人なんでございます。

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すずかさんの愛車は、白のスカイライン・クーペなんでございます。
私しゃ、クーペてなもん、ユーミンの歌にしか出てけえへんもんやと思てました。

♪緑のクーペが止まる。昔より遊んでるみたい。
磨いた窓を降ろして、口笛吹く。傷跡も知らないで。
冷たくされて、いつかは見返すつもりだった。
それから、どこへ行くにも着飾ってたのに。
どうしてなの。今日に限って、安いサンダルを履いてた。
今日分かった、むなしいこと。結ばれぬ悲しいdestiny♪

ジューシーフルーツの歌にもありました。
「恋はベンチシート」、「恋のボンチシート」と違いまっせ。まぁ、どちらも作詞は近田春夫ですけど。
♪狭すぎるあなた自慢のクーペ
飛ばしてる時は、まんざらでもないけど♪

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7代の関学落語会での集合写真。
すずかさんは、「つる」と「初天神」と「崇徳院」をやったあとは、三味線と寄席文字担当になったそうです。
写真の寄席文字は、吊り看板もすべてすずかさんが書いたとの事。

この写真で、私が分かるのは、左から2人目が小紫蝶さん、そのたたずまいは今も変わりません。
その3人横が、蝶べえさん。酔うと細い目がすわって、めっちゃ怖い人でした。大阪の名店、
「中華飯店まるい」で、よう頭はたかれましたわ。
あとは、誰が誰だか全く分かりません。
が、前列右端に座っているのが笑喜さんである事を明かされた時には少なからず驚きました。
「私の知っている笑喜さんじゃない、、、!」

ジャズと聞いて私の頭を真っ先によぎるのは、マイルス・デイヴィスでもなく、
ハービー・ハンコックでもなく、ましてや、デーブかまやつでもなく、四笑亭笑喜、その人です。

私は、かねてから、なぜ笑喜さんがジャズダンスなるものを始めたのか不思議に思っておりました。

「笑喜がジャズダンスを始めたのは、私がきっかけなのよ。」
「はぁ?」
「私が元々ジャズダンスやってて、その発表会がフェスティバルホールであったのよ。
笑喜もそれを見に来てて、それで始めたのよ。」
笑喜さんをジャズに目覚めさせたのが、すずかさんだったとは、罪な人だ。

私は、笑喜さんのジャズダンスの舞台を見ています。
所属しているダンススクールの発表会か何かで、黒いタイツをもっこりとさせて踊っている
笑喜さんの姿が今もまぶたに焼き付いています。
その時私は、花束まで買っていって、フィナーレで舞台の笑喜さんに手渡したものです。
「〇丸、来てくれたんか。ありがとう。」という笑喜さんの目には、汗とは違うものが光っていたように思います。
その後、てっきりジャズダンサーの道を歩んではるのかと思っていたら、
「笑喜は、ダンスはすぐにやめて、ジャズボーカルをやったのよ。ええ声してたでしょ。」
ダンサーからボーカリストに転身されていたとは、、、、。
ひょっとすると、さらに転身して木川かえる師匠に弟子入りして、今は「ジャズ漫画家」になっているのかも知れません。

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夏合宿。すずかさんと小笑さん。
テニスルックでございます。完璧なテニスルックでございます。
ソックスに二本線が入っております。
「ビョルン・ボルグ」や「ジミー・コナーズ」の話で盛り上がったのでしょうか。

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学祭でございます。
すずかさん、蝶松さん、もろ太さん、南蝶さん、は分かるのですが、もうお一人の女子部員は
どなたでしょうか?

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写真をデジカメで接写してますので、ぼやけていてますが、それでも分かります。
右から、スバルさん、すずかさん、南蝶さん。
中央が、ナイトさんとお聞きしましたが、ぼやけていても分かります、男前だということは。
「イケメン」ではない「昭和の男前」。これぞ、美月家!

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ナイトさんの男前をさらに裏付ける写真がありました。若旦那。背も高い。
すずかさんに「ナイトさんは、さぞかしもてはったでしょうねぇ。」とお聞きしましたが、、、。

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私がじかに知っている男前、というよりも、こちらはイケメン。10代セブンさん。
それにしても、この「菊正宗」みたいな着物はどこで見つけたんでしょうか?
セブンさんが写っているという事は、すずかさんは4年のはず。
四回生もこういう風に学祭に参加する、いい時代でしたねぇ。
「コンピューター占い」というのが時代を感じさせます。

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キャー! これはもう「これが青春だ!」そのものでございます。
私がお見受けするに、中央にいてはるのが、鴬丸さんであろう事は分かるのですが、
その左上のヒッピーのような「あっと驚く為五郎」のような方は、どなたでしょうか?

夏合宿の合宿先が、「スマイル太田屋」になったのは、7代からとのこと。
「スマイル太田屋」には、世代を超えて共有できる伝説がありました。
豆ご飯と言われて出された「豆ご飯」の豆がレーズンだった、
味噌汁の具は、いつもきゅうりだけだった、等々。
が、今は部員の数が増えて、スマイル太田屋では収容しきれず、合宿地は新潟の方に変わったとか。

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すずかさんは、「関西学院同窓会 三重支部 津担当幹事」という要職についておられるのでございます。
すずかさんが、この職につかれたいきさつにも甲山落研が深く関わっているのです。
毎年催される三重支部同窓会の例会にはゲストスピーカーを呼んではるそうですが、
このような催しのスピーカーの話というのは、とかく「難しい・退屈」になりがちなもの。
数年前、すずかさんが「誰かええ人おりまへんか?」と聞かれて、四笑亭笑平さんを招聘したそうです。
分かりますか?「笑平さんを招聘」「しょうへいさんをしょうへい」ばんざぁーい。
笑平さんの公演は、三味線の曲引きと軽妙なトークで好評を博したそうで、
その功績が認められ、すずかさんはヒラの同窓会員から幹事に昇格したのです。
すずかさんの好むと好まざるに関わらず、、、。

三重支部の活動は、
毎年11月に開催される熱田神宮から伊勢神宮をコースとする全日本大学駅伝の際には、
津で関学ランナーを路上で応援し、その後すぐに車を飛ばしてゴールの伊勢神宮でアンカーを迎えたり、甲子園ボールではバスを貸し切って応援に乗り込んだり、と関学愛に溢れております。

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「津には何もないよ。すずか以外は、、、。」
私が、最初にメールをした時のすずかさんからの返信です。

そうか、、、津にはすずかさん以外に名物は無いのか、、、。ならば、
「この辺で落語をできそうな神社かお寺はありませんか?」
とお聞きしたところ、プロの落語家も呼んだことのあるお寺があるとの事。
「津寄席」の開催が決まりました。

それでは、すずかさん「津寄席」で、いやその前に
4月20日(土)午後2時開演 高津神社での「第二回高津の寄席」でお会いしましょう。

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Author:〇丸
関西学院大学甲山落語研究会OB

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